あなたのその仕事は、誰かに勝つためのものですか?
目次
- 「誰かに勝つために」アートをしているの?
- 優しさや美しさは、競わない
- 花屋のたとえ話が教えてくれたこと
- 禅の言葉「喜捨」が教えてくれること
- 子どもたちが教えてくれた「比べない強さ」
- ブランディングも「自分らしく」
- 最後に:今、もし比べて苦しくなっているあなたへ
「誰かに勝つために」アートをしているの?
私のこの仕事は、誰かに勝つためのものだろうか?
美術教育に携わり、作品を生み出し、子どもたちと向き合う中で、時々この問いが胸をよぎります。
私たちは小さな頃から、順位づけや評価のなかで育ってきました。
テストの点、運動会の順位、通知表…。
社会に出てからも、売上やSNSのフォロワー数、他者からの承認が価値の物差しになりがちです。
でも、本当にそれが私たちの仕事の本質なのでしょうか?
優しさや美しさは、競わない
子ども造形教室で出会う子どもたちは、評価を気にせず「自分の好き」に夢中になります。
絵の上手・下手ではなく、夢中で描くその姿が一番美しいのです。
私自身も、作品制作で他人を意識した瞬間、筆が止まった経験があります。
比較の意識が芽生えた瞬間、アートが「表現」ではなく「評価のための作業」に変わってしまうのです。
花屋のたとえ話が教えてくれたこと
ある文章で印象的なたとえ話に出会いました。
2軒の花屋のうち、ひとつは花が大好きで、心をこめて花を並べ、暮らしに彩りを添えることを喜びとしています。
一方は、もう一つの花屋をライバル視し、「どうすれば勝てるか」にばかり意識を向けています。
私たちは、前者のようでありたい。
子どもたちにとって、心に残る時間を届けることを大切にしたい。
それが、私がアート教育を選んだ理由です。
禅の言葉「喜捨」が教えてくれること
禅の言葉「喜捨(きしゃ)」とは、「喜んで手放す」という意味があります。
もとは寄付やお賽銭のことを指しますが、私たちが抱える「比べる心」「執着」もまた、喜捨できるのです。
比べることをやめるだけで、心はとても軽くなります。
自分にしかできない表現や教室のかたちに集中できる。
それは、禅の修行のような静かな強さを与えてくれます。
子どもたちが教えてくれた「比べない強さ」
子どもたちは、誰かと比べることなく、素直に「すごいね」と言えます。
「私の作品、なんか変だけど好き!」と笑うその姿は、比べないことがむしろ強さであることを教えてくれました。
比較のない場所でこそ、創造性は最大限に育まれる。
美術教育とは、そんな環境を整えることだと私は思います。
ブランディングも「自分らしく」
オンラインギャラリーやブログを通じて発信する今、以前のように「ウケる内容」や「売れるかどうか」に振り回されることがなくなりました。
自分のペースで、自分の言葉で、自分の想いを届けること。それこそが、私のブランドであり、道です。
一人でも心に届けばいい。
そんな気持ちで、これからも作品をつくり、言葉を綴っていきます。
最後に:今、もし比べて苦しくなっているあなたへ
他人の活躍がまぶしく見えて、焦ってしまう日もあるかもしれません。
でも、花が咲く時期は皆ちがいます。
誰かと競うために咲くのではなく、ただそこに咲いているだけで尊いのです。
「喜捨」の心で、比較を手放してみてください。
きっとその瞬間、自分らしい創造が動き出すはずです。
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