バレーボール部キャプテンにみえない?!集団行動が苦手でもなんとかなる!

こんにちは。母画家道 Rinです!

集団行動が得意ではないRInですが、
こう見えて、中学生の頃、
バレーボール部のキャップでした。
大人になって知り合った人には、
よく驚かれるます。
まず、体育会系には見えないそう。左利きなのでそれで目立っていたのもあるかもしれません。

まさかキャプテン⁈

そして、さらにキャプテンなんて
できなさそうだからだと思います。
キビキビしていないのです。
よくおっとりしていると言われます。
自分では、結構ハキハキとしたつもり
でも、おっとりしているねと
言われます。

あとよく言われるのが、

怒ったりするの?

です。もちろん、人間なので
喜怒哀楽はあるので、怒ることも
あります。でも、怒ったりしなさそう
なのでしょう。
割とニコニコしているので、温和に
見えるのでしょう。
そういった印象が強いので
バレーボール部でしかもキャプテン
というイメージからかけ離れている
のでしょう。

バレー部時代

そのキャプテンをしていた
バレーボール部は
中学校からはじめた部員ばかり
でしたが県大会に毎回行くような
その地域では、強いチームでした。
それもそのはずで、とても怖くて
厳くて有名な顧問の先生だった
からです。練習もたくさんあり
朝練、昼練、放課後の練習は当たり前。
土日は、ほとんど練習試合という
感じで、休む暇もないくらいでした。
それは、強くなるよね!
という練習量と練習内容でした。
そして、今だったら捕まってしまい
ますが、体罰も当たり前にありました。
でも、その事件となる体罰のような
感じではなく、先生との信頼関係が
ある上でのその子の成長を考えての
体罰です。
もちろん、病院に行くような激しい
ものではありません。
平手打ちやボールを当てられたりです。
もちろん、体罰に賛成という訳では
ないし、体罰は良くないことだと思います。
でも、その時代に私たちが
強かったのは、語弊を恐れずにいうと
効果的な体罰 があったからかも
しれません。
なので、そのことについて文句を言う
親は一人もいませんでした。
そして、今思えば、先生が大変
だったと思います。ご家庭もあるし
お子さんもたくさんいました。
奥様にも大変な思いをさせていたと
今さらながら痛く感じ、感謝の思いで
いっぱいです。

先日、地元福岡で退職を迎える
恩師を囲む会がありました。
私は遠方で予定もあったので
参加出来なかったですが
多くの教え子たちが集まって
いました。ラインでその時の
写真が送られてきました。
懐かしい同級生や先輩、後輩が
写って楽しそうにバレーボールを
母校の体育館でしていました。

もうあれから。。。

もう、あれから30年近くが
過ぎようとしていますが、久しぶりに
中学校時代のことを思い出し
懐かしんだRinなのでした。

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こんにちは。母画家道Rin甲斐香織です。 「No ART, No Life」 ── アートは私にとって、生きることそのもの。 画家、美術講師、そして三兄弟の母として、 描くこと・教えること・暮らすことのすべてを、アートでつないでいます。 これまで25年以上、美術教育に携わり、出会ってきた生徒は延べ3,000人以上。 宮崎県高鍋町のこども造形教室を運営、小中一貫校の図工美術講師、 オンラインギャラリーの運営など、多角的に活動しています。 「みんなちがって、みんないい」「答えは、あなたの中にある」 そんな信念のもと、美術を通じて、自分らしく生き抜く力を育むことを大切にしています。 このサイトでは、美術を仕事にする楽しさ、 教育・創作・日常を彩るアートの力を、そっとお届けできたら嬉しいです。