情報過多の時代を生きる私たちは、つい意識があちこちに引っ張られがちです。
そんな時代だからこそ、心をひとつにし、目の前のことに真っ直ぐに取り組む「没頭の力」がより一層大切になるのではないでしょうか。
目次
禅語「一行三昧」とは
「一行三昧(いちぎょうざんまい)」とは、ひとつの行(ぎょう)に精神を集中させ、全身全霊で取り組む姿勢を表す禅語です。
これは“没頭”というより、むしろ“そのものと一体化する”ような深い集中状態を意味します。
日々の生活にこの精神を取り入れることができれば、たとえささやかな作業でも、驚くほど心が整い、充実感に満たされていきます。
アート教育に通じる“没頭の質”
私のこども造形教室では、子どもたちが夢中になって手を動かす姿をよく目にします。
誰かと比べるわけでもなく、結果を急ぐわけでもなく、「今、ここ」の感覚を味わいながら、絵の具や粘土など様々な材料や用具と向き合っている。
まさにそれが、「一行三昧」だと感じる瞬間です。
集中する姿には、どこか神聖さすら感じます。そして不思議なことに、集中して何かをやり遂げたあとは、子どもたちの表情がふっと柔らかくなるのです。
子どもの集中力は「場」が育てる
「集中できない子」なんて本当はいないのかもしれません。
大人が適切な環境と“待つ心”を提供することで、子どもたちは自然に集中の世界へ入っていけます。
私自身、子育てを通して、「急かさない」ことの大切さを学びました。
食事の支度中、工作中の三男。
私「あと15分くらいでご飯できるよ。キリがいいところで進められるかな?」
三男「「オッケー」。
食事ができると彼はちゃんと切り上げて食卓に来て、配膳をすることができました。
自分で集中を手放せた、その事実に、小さな成長の種が宿っていたように思います。
創作活動と「無心」の境地
作品制作においても、「一行三昧」の精神は欠かせません。
筆を持つとき、私は他のことを一切考えず、色や線に意識を集中させます。
最初は頭で構成していても、集中が深まると、自分の意思を超えて筆が動くような不思議な感覚になります。
これはまさに“無心”というべき状態で、心の中のノイズが消えた静けさがあります。
絵を描くことで、私は“自分を整える”時間を得ているのかもしれません。
周囲に振り回されず、自分のリズムで生きる
SNSや人間関係の中で、どうしても「比較」や「雑音」に心を乱される瞬間があります。
でもそんなときこそ、「一行三昧」を思い出すのです。
目の前のことに心を注ぐ。ただ、それだけでいい。
評価も結果も、人の目も気にしないでいい。ただ、やるべきことに集中する。
子どもにも、生徒にも、そして私自身にも、
「人と比べないで、目の前を見よう」
と繰り返し伝えています。
禅の言葉にあるように、「水急にして月を流さず」——水面がどんなに揺れても、月は静かに輝いている。
そんな凛とした存在でありたいと、心から願っています。
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