んにちは。母画家道Rinです!
今日は、染めの代名詞とも言われる今色についてお話ししようと言う思います。
愛で染めた最も濃い色を「紺」といます。
青色といよりは黒色に近い色です。
647年に7色13階の冠制が定められた時、「紺」は4番目の服色として、指定されていました。
「紺」が「こん」と呼ばれるようになったのかは、わからないそうです。
当時は、「ふかきはなだ」と呼ばれていたそうです。
その後、「深縹(こきはなだ)」と言う色名も生まれたけれど、この色も「紺」に似ていて、黒色を思わせるような濃く、暗い青色だったそうです。
今でも「紺」の暖簾は、料理屋とか屋台のラーメン屋にまで使われていますので、珍しくありませんね。
でも、今使われているものは化学染料を使い、短時間で染めることができます。
ところが植物染料の藍を使って「紺」を染めるとなると、大変な時間と手間がかかります。
藍甕に布地を浸して染めます。
1度、染めただけでは、まだ薄い青色でしかないです。濃い色に染めるには、染めては乾かし、染めては乾かしという工程を30回は繰り返さなければいけません。
つまり、晴れた日が30日なければいけないと言うことになります。
なので、濃い色に染めようとしたら、かなりの手間を要したけれど、藍で染めた色は、特権階級が独占した色ではありませんでした。江戸時代には、何回も、奢侈禁止令が出されたけれど、「紺」をはじめ、藍で染めた濃淡の様々な色は、華美で高価な色でもないので、奢侈禁止令で取り締まられることもありませんでした。
「紺」は常に庶民の色でした。
多くの人々に愛用されてきました。
なんといっても、汚れが目立たないし色が丈夫で褪せにくく、糸そのものも強くなるというメリットがたくさんありました。
それに加えて、マムシ除けになるというのもポイントが高かったのでしょうね。
「紺」の仕事着は野良仕事に最適だったようです。
だから、江戸末期まで庶民が染めるといえば、藍で「紺」に染めることをさしました。
染物屋を「藍染屋」と言わずに「紺屋」(こんや、こうや)と呼ばれていたのもそういった理由からだそうです。
今も各地にある「紺屋」という町名は、そういった紺屋が多く集まっていた当時の名残でもあるそうです。
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